滋賀県民が琵琶湖をうみと呼ぶ理由

滋賀県民が琵琶湖のことを「うみ」と呼んでいるのを聞いたことがあるだろうか?私も例外なくそう呼んでいたし、今でも時々そう呼ぶことがある。呼ばなくなるのは単純に恥ずかしさからだ。高校生くらいになると、県外の友達も増えてくる。夏になりうみに遊びに行こうかと言う話になる。

「うみでも行く?」「いいね!福井(日本海)?三重(太平洋)?琵琶湖?」「琵琶湖は海じゃないからねw」

県外の子に鼻で笑われたことは1度や2度ではないはずだ。馬鹿にされたくなくて「うみ」と呼ばなくなる人は多いし、ここでイチイチ「いや、海じゃなく湖(うみ)ね」と説明するのも面倒くさくなる。そう、滋賀県民はアホではないので琵琶湖を海と勘違いして呼んでいるわけではないのだ。


否、少し嘘をついた。私もアホだった頃がある。琵琶湖をうみと呼び始めるのは親がそう呼んでいるからで、それが海ではなく湖だとは疑いもしなかった。だがその謎は小学校5年生で解き明かされる。

滋賀県民は小学校5年生になると「うみのこ」と言う名の船に乗せられ湖上生活をする。おそらく人生初の宿泊学習となる「フローティングスクール」。そこで湖とかいてうみと呼ぶことを知るのだ。

動画は琵琶湖周航の歌。冒頭で「我は湖の子」という歌詞がある。滋賀県民で知らない人はいないだろう。無理やりか!とまだ疑っている人がいるなら、「うみ」で変換してみて驚いてほしい。


さて、琵琶湖はいつからうみと呼ばれているのだろうか?現存する最古の歴史書古事記や万葉集、木簡には「近淡海(ちかつあはうみ)」や「淡海(あはうみ)」と記されており、どうやら琵琶湖、もしくはその周辺の地をさす言葉ではないかと考えられている。呼称というよりも「都から近い湖」もしくは「都から近い湖がある国」と呼ばれていたようだ。大宝1年(701年)大宝律令の施行で地名に好字2字をつけることとなり、「淡海」の発音いまでいう「おうみ」に「江」が当てられ、「近江」これで近淡海を意とする地名ができ定着していった。

なぜに「江」?と思ったことはないだろうか。浅井長政の三女の名も江で、琵琶湖が由来ではないかという説があるが湖を見て「江」という漢字をイメージすることが全くない。入り江という言葉があるようにどちらかというと湾や浜などに近い印象がある。近江は熟字訓で分節不可能な漢字だが、江を「おうみ」と呼んだか「うみ」「み」と呼んだかは、どうやら多くの説があるようだ。

「江」という漢字を調べていくと、どうやら入江という意味以外に大河という意味があるようだ。例えば中国でいう長江。そう言えば琵琶湖は実は法律上「一級河川琵琶湖」で大きな河として扱われている。もしかしたら琵琶湖は今よりもずっと大河という認識が高かったのかもしれない。

琵琶湖という呼称が文献に現れ始めたのが室町時代後期。その後も「琵琶湖」「近江」「近淡海」と長きにわたり混在することからも、定着していたとは言えない。どちらかと言えば「おうみ」という呼び方に愛着すら感じる定着に漢字の名称が追いかけているような印象を受ける。


ここからは私の妄想話になるが、琵琶湖やら近江(国)やら淡海というのは教養あっての呼称だったと思われる。民衆は琵琶湖を何と呼んでいたのだろうか?もしかしたら読みから「御うみ」といった勘違いなんかもあったのではなかろうかと想像する。おうみからうみに簡略化されたのかもしれない。民の暮らしが記録に残ることはない。だが、今でも琵琶湖は「うみ」と呼ばれ愛されている。

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